新宿不動堂 寺院の紹介
成田山新宿不動堂 ご縁起・略記
当山は、遠く江戸時代までさかのぼり当時は、羅漢寺という寺であった。またその頃より現在同様に、『新宿のお不動様』といわれており随分昔からお不動様との縁が深かったことが、大本山 成田山新勝寺にある仏教図書館の文献や鳥瞰図にも記されている。
当時は、歌舞伎役者の市川団十郎の人気も重なり成田山詣でが盛んで有ったようで漁師、商人たちがこぞって講を組み、木更津の地より成田へ向かっていた様子が残っている。この、信仰心の篤い人々の力で明治元年に新勝寺が篤信者の為に特別に認めはじめたのが成田山講社であり、当山は『成田山木更津新栄講』という。
成田山新勝寺がこの年に発足した講の先駆けの幾つかの講に入っている事もわかっており百三十年以上の歴史をもっていることが、本山より報告された。これにより、羅漢寺というかつての名も明治に入り変わっていくこととなり『成田山新宿不動堂』といわれるようになる。
明治初期に、行者深山観全氏により新たに開山され、成田山新勝寺に出入りしていた行徳の仏師浅子作といわれる不動明王を新勝寺より勧請し、三体彫られた内の一体を当山と、成田山東京別院の深川不動堂が一体観請し、浅子が作成したものの中でも力作『不動三兄弟』と言われている。これにより、成田山末寺末教会の縁を結ぶ事となった。
また、成田山新勝寺の木更津出張所として行者深山観全師により明治初期にこの地に開山され、当時の上総国郡内百八十六ケ村をはじめ千葉県市原、安房夷隅内の村々二百三十一ケ村にわたり信者が広く房総一帯に分布しその数は当時最大三千人以上となっており現在に至る。
関東八十八ヶ所霊場 四十九番札所
上総の七福神霊場 弁財天
新上総国三十三観音霊場 二十五番札所
上総国 薬師如来霊場 十五番札所
上総 保久利地蔵霊場 一番札所 |
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方難消除
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大漁満足
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前厄 |
本厄 |
後厄 |
男性 |
昭和55年(41歳) |
昭和54年(42歳) |
昭和53年(43歳) |
平成9年(24歳)
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平成8年(25歳) |
平成7年(26歳) |
女性 |
平成元年(32歳) |
昭和63年(33歳) |
昭和62年(34歳) |
平成15年(18歳) |
平成14年(19歳) |
平成13年(20歳) |
男性女性
幼児 |
昭和36年(60歳) |
昭和35年(61歳) |
昭和34年(62歳) |
平成30年(3歳) |
平成29年(4歳) |
平成28年(5歳) |
※なお、平成20年生の男女で13歳となられる方も厄年とされています。(十三詣)
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境内紹介
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金剛力士像 |
水子・子育て地蔵尊 |
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ぼっくり観音 |
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浪切不動尊 |
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薬師如来(がん薬師) |
上総の七福神 弁財天 |
聖観世音菩薩 |
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身代わり不動 |
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